LEICA M6という存在感
父親から借り受けたLEICA M6。すでにフィルム6〜7本は撮っただろうか。
最初は15〜6年ぶりに触るフィルムカメラの懐かしさ。忘れていた諸々の操作感が新鮮だった。
シャッターを切る瞬間の決断(お金が発生するからね)。
息を止めることすら懐かしい。
iPhoneとかで日常的に写真は撮っていたものの、こんなに意識的にシャッターを切っていたか?
意識はふやけてしまって、ほとんどファインダー(画面)なんて見てなかったぢゃないか。
広角に慣れてしまって、フォトショでトリミング前提のコンポジションなき構図が当たり前になっていなかったか?!
絞りとシャッタースピードを両手で合わせなければいけないから、もちろんハンドル握りながら片手だけで撮影なんてできない。
でも考えてみると、フロントギアとスプロケットの歯数を探るみたいな感覚に似ているぞ。
ファインダー内の赤矢印は、露出のヒントくらいしか教えてはくれない。
もう少し解放したら?とは言うけれど、選択する余地は残してくれる。
でもどうだ、この楽しさ。LEICA M6。
純正レンズ(50mm)も、露出が多少足りなくてもそれなりの空気感を描いてくれる。
光と色と形と戯れるこの感覚。
使い手を育ててくれるカメラ、LEICA M6。
乗り手を深みに誘うクロモリフレームの様。
ひょんなことからにぎりしめるようになったけれど、しばらく楽しめそうです。